嬉染居は允康と展子のふたりが手がける天然藍染のブランド。淡い色から濃色まで5段階の色を楽しんでいただく「無地シリーズ」、絞りを施した「京鹿の子絞シリーズ」を展開しています。

日常を大切に。

嬉染居がたいせつにしているのは、日常の暮らし。

暮らしの中で、日常的につかうもの。目にするもの。

それらが心地よいものであれば、日常が豊かになる。


布に触れた時の、心地よさ。使い勝手。

そうした「心地よさ」が伝わる「モノ」を提案しています。


そんな心地よさにアクセントを与えるのが、藍の役割だと思っています。


日常を大切にするあなたにお使いいただき、

嬉しい思いがあふれることを願って、ものづくりに励んでいます。

日本古来の藍染は、鮮やかで色移りしない

嬉染居では、日本古来の技法で藍染をしています。

それは、発酵液で染める藍染。

木を燃やした灰に熱湯を加えた上澄み液と、

藍草の乾燥葉に水を加えて発酵させた日本独自の藍染染料「すくも」。

この2つの素材を270リットルの陶製のカメに入れて発酵させる。

この陶製のカメを「藍瓶(アイガメ)」と呼んでいます。

藍瓶の中の発酵液の色は、茶色です。

けれども、その中に浸けた布を引き上げると、

茶色からミドリに色が変わるのです。

このミドリの布を水で洗うと、茶色が抜けて、青だけが残ります。

大切なのは、洗う水は茶色だということ。

青色の色素がしっかり布に定着している証拠です。



【允康のものづくり】

時代を超えて愛されるものをつくりたい

 子どもの頃から何かを購入するとき、すぐに買わずにだいたい3回くらいお店に通って、ほんとうに自分に必要なものかどうか検討し、長年愛用できる自信がもてた時にはじめて手に入れていました。もし手に入れたものが経年劣化で使えなくなっても、その時また同じ品を買いたいとも思っていました。

 そんなふうに手に入れたものの中に、ついつい手にしてしまうものがあります。たとえば、ヘビーローテーションで着てしまうTシャツ。たとえば、出かける時についつい手にしてしまうかばん。ついつい使ってしまう理由はいろいろありますが、すべてに共通しているのは「心地よさ」です。

 だから自分でものづくりをするようになったとき、使い心地の良さは必須条件。その上で、見た目の美しさ、耐久性、軽さなど、アイテムごとに「ついつい使ってしまう要素」を詰め込んでいます。


ものづくりは素材づくり

 新たなアイテムをつくるのは、2つのパターンがあります。

ひとつは素敵な素材に出会ったとき。かばんづくりはこのパターンの代表アイテムです。

もう一つは、つくりたいアイテムのための素材をつくるパターン。ニットのTシャツ、布帛のシャツなどの衣類系は、アイテムに合わせて素材からオリジナルで作っています。

 東京・南青山スパイラルの個展会場で「昨年購入したTシャツがとても気持ちよかったから、同じTシャツでデザインの違うものが欲しくて来たの。」とおっしゃるお客さまが毎回数名いらっしゃるのは、ほんとうに嬉しく思います。モノを通じて作り手のコンセプトが伝わるって、とても素敵なことだと思っています。


京鹿の子絞について

 生まれた時から身の回りにあった京鹿の子絞。ものごころついた時には制作現場にいたので、さまざまな技法のものを扱ってきました。

中でも一番好きな技法は、小帽子絞り。直径10mmほどの小さな○の絞りです。これをお花のカタチい5つならべた「梅」のデザインの羽織は定番のアイテムで、糸入れ・染め・小帽子・染め・解き・の各工程で検品作業するたびにワクワクしていました。

 今も小帽子絞りをデザインしながら、このワクワクを感じています。


【允康の藍染に関するプロフィール】

1987年 京鹿の子絞のきもの(絹)の藍染をはじめる。

1991年 京都に藍染工房「嬉染居」が完成。藍甕の管理をはじめる。

1995年 江戸時代の小袖の復元プロジェクトに参画。同時に藍以外の天然染料の染めを開始。

1996年 絹以外の藍染をはじめる。

1997年 アパレルブランドの服地の藍染を手がける。

2000年 交通事故に遭い、1年間休職を余儀なくされる。

2004年 藍染工房にSHOPを併設。展子と共同でKiSENKYOブランドを立ち上げる。

2008年 東京・南青山スパイラルにて個展開催。(継続)

2010年 京都造形芸術大学(現京都芸術大学)京都学講師。(継続)

2012年 南丹市日吉町胡麻に移住。仮工房にて染色を続ける。

2014年 南丹市日吉町胡麻に藍染工房新設。

2018年 台湾国際芸術大学「HUMANITIES ACROSS BORDERS」参加


【允康の京鹿の子絞に関するプロフィール】

京鹿の子絞製造卸業を営む家に生まれる

1970年ごろより、京鹿の子絞のきもの制作作業に従事。

1974年より、京鹿の子絞職人への加工依頼を担当。

1995年より、京鹿の子絞デザインを手がける。

京鹿の子絞振興共同組合会員。